ペットロス症候群になった僕は愛犬の遺骨を食べたいと思った。

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平成最後の日に独身時代から一緒に生活していた愛犬が旅立ちました。もう少しで12歳でしたが、令和を迎える事無く突然いなくなってしまいました。

それから2週間弱。なんとか愛犬の死を受け入れ始めていた頃、もう一頭の愛犬が突然旅立ってしまいました。ちょうど10歳の誕生日でした。

我が家で生まれた愛犬だったので、この世に生を受けた感動の瞬間も、息を引き取る最期の瞬間も全て自分の目で見てきた事になりました。

 

どちらの愛犬の旅立ちも突然で信じられず。

今回初めて「死」という言葉を使いました。

 

旅立ちという言葉で誤魔化して「愛犬が死んだ」とは口に出すことができませんでした。

様々な後悔ばかりが頭をよぎり、そして新たな後悔を日々の生活の中から探しに行く毎日。

初めて知りましたが、後悔はいなくなってから日数が経過する程に増えていくものの様です。

『ペットロス症候群』とは言ったものですが「いなくなってしまった現実感の無さ」と「実際に目の前に存在する現実」に頭の処理が追い付かない。

頭の中ではこんなに鮮明に思い浮かぶのに、実際にはもう二度と触れる事も出来ない現実が嘘みたいで理解しているのに理解できない。

 

自分には愛犬を火葬をして遺骨を見た瞬間から感じていた事がありました。

一つ一つ骨壺に感情をこめて遺骨を入れていく。

数日前まで一緒に笑いあっていた愛犬の姿に涙が止まらないのはもちろんですが、なんとも言えない不思議な感情が心から湧き出てきます。

 

『愛犬の遺骨を食べたい』

 

そのような弔い方があるのかは知らなかったですし、そんな話を今まで聞いた事もありません。

ただただ純粋に『遺骨を食べたい』と思った。

自分が想像した事もない感情だったので、その気持ちがどこから生まれ出てきているのかはわかりませんでしたが、非常に強い想いでした。

『なぜ僕は愛犬の遺骨を食べたいと思うのか?』

 

一緒に生活してきた愛するペットの遺骨を食べる。

これが世間一般的に正常な行動なのか、それとも異常なのかは良くわからない。

というより世間での正常異常の判断、そんなのは実はどうでもいいような話にも思えてきます。

 

『愛しいから体内に取り込みたい』

 

少し気持ちが悪いけれど、あえて言葉にするのならばこういう感情かもしれません。

正確にはもっと複雑な感情や、言葉では表現できない胸が熱くなる様な感覚があったんですけどね。

遺骨を自分が食べる事で『一緒に生きていける』という暗示も大きいと思います。

愛犬が旅立ってしまってからは自分の足元にいるんじゃないか考えてしまい、会社でもドアの開け閉めをする時には長めに時間を取っていました。

誰もいないのにドアを抑えて待っている姿は傍から見ると少し怖いとは思いますけど、無意識に挟まったら困るなんて思ってしまったりして。

そんな中で遺骨を食べる事で愛犬が足元ではなく、自分と一体化するようなイメージを持つようにもなっていきました。

 

『そして僕は愛犬の遺骨を食べた』

 

結果的に僕は愛犬の遺骨を少し食べました。

これが周囲にどう思われるのかは分からないし、別に引かれたとしてもそれはそれでいいと思う。

自分の体内に間違いなく愛犬の遺骨を取り込んだ。

もしかしたら全て吸収される事なく外に出てしまう物なのかもしれないし、どこかに0.01%でも吸収されて自分と一体化しているかもしれない。

でも自分の体内に取り込んだという事実は変わらないわけで『一緒に生きる』という言葉は嘘ではないという気持ちになってます。

正直、少しだけ気持ちが楽になりました。

ペットロスから立ち直る方法というわけではないですが、もし同じ感情を抱いて悩んでいる方がいたら、ここに『愛犬の遺骨を食べた人』がいる事を残しておきます。

 

ちなみに落ち着いてから調べてみたら、ペットに関わらず人間でも似たような話はあるようです。

きっと『遺骨を食べたい』という感情は、愛情がもたらす『想い』なんじゃないかと思いますね。

 

 

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ではでは、おしまい。

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